日本100名城(7)
多賀城(たがじょう/たがのき、多賀柵)は、現在の宮城県多賀城市 にあった日本の古代城柵。国の特別史跡に指定されている(指定名称は「多賀城跡 附 寺跡」)。
奈良時代から平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、11世紀中頃までの東北地方の政治・文化・軍事の中心地であった。なお、多賀城が存在した頃は「平安海進」により、周囲は現在と大きく異なる地形をしていたため注意が必要。
奈良盆地を本拠地とする大和朝廷が蝦夷を制圧するため、軍事的拠点として蝦夷との境界となっていた松島丘陵の南東部分である塩釜丘陵上に設置した。創建は724年(神亀元年)、按察使(あぜち)大場東人(おおののあずまひと)によって創建され、陸奥国府(むつこくふ)と鎮守府(ちんじゅふ)が置かれました。約900メートル四方という広大な城内の中央には、重要な政務や儀式を行う政庁がありました。8世紀初めから10半ばまで存続し、その間大きく4回の造営が行われた
発掘調査成果をもとに環境整備が行われており、平城宮跡(奈良県)、太宰府跡(福岡県)とともに
日本三大史跡に数えられています。
多賀城のステレオ空中写真(1975年)
政庁跡全景 現在は全盛期のII期政庁を復元表示。右に東脇殿、左端に西脇殿、中央奥に正殿。
II期政庁跡 復元模型 多賀城政庁跡で展示。
正殿
後殿
東脇殿
西脇殿
南門
政庁から外郭南門への道路