日本100名城(27)

上田城(うえだじょう)は長野県上田市二の丸(旧・信濃国小県郡上田)にあった日本の城で,天正11年(1583)真田昌幸によって築城された平城、第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城。なお、現在残っている城は、仙石忠政によって寛永年間に再建築城されたものである。

上田盆地の北部に位置し、北に太郎山、南に千曲川があり、築城前は土豪小泉氏の古い城館が存在した(現在、二の丸より西側の小泉曲輪と呼ばれている場所)と伝えられる。城の南側は千曲川に接し、北側と西側に矢出沢川を引き込み総構えとし、唯一の攻め口である東側にも蛭沢川や湿地帯などがある。

関ヶ原の合戦後破却され堀も埋めらた上田城は仙石氏が城主の時代に上田城の再建を申請し、寛永3年(1626年)から現在の上田城が普請されることとなった。真田氏時代の縄張りをも利用していると推測されているが、徹底破却ののちに近世城郭として新たに築城された。7基の櫓(やぐら)と2基の櫓門が建てられました。明治維新後、西櫓1基を残しそのほかの櫓・櫓門は取り払われました。城外に移築されていた2基の櫓は後に買い戻され、昭和18年(1943)から24年にかけて現在の南櫓・北櫓として再移築されました。平成6年(1994)には東虎口櫓門が復元されました。

現在は旧二の丸内が上田城址公園になっており、敷地内には上田市民会館(平成26年(2014年)閉館)、野球場、市立博物館、招魂社などが置かれている。本丸跡には眞田神社真田神社)がある。境内には古井戸があり、「城外への抜け穴になっていた」との伝説がある。三の丸の藩主居館跡には、松平氏時代の屋敷門と堀が残されている。同地は現在上田高校の敷地として利用され、門は学校の正門として使用されている。

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信州上田城絵図

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真田期の上田城縄張り

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尼ヶ淵から上田城を望む

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尼ヶ淵から上田城を望む

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上田城本丸南櫓と東虎口櫓門

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上田城東虎口櫓門

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真田神社

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真田神社

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上田城主屋敷門(現上田高校正門)

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冬の上田城