日本100名城(28)
小諸城(こもろじょう)は、長野県小諸市にある平山城で日本の城跡。別名、酔月城、穴城、白鶴城。
長享元年(1487年)に大井光忠によって築城されたと考えられている。戦国時代、武田信玄の東信州経営のために現在の縄張りとされた。現在残っている城跡の元になったものは信玄の軍師であった山本勘助の縄張りだと言い伝えられているが、根拠となる資料はない。
現在のような構えとなったのは豊臣秀吉天下統一のとき小諸城主となった仙石秀久の改修によるもので、三重天守もその頃に建てられたものであった。天守には桐紋の金箔押瓦が用いられていたが寛永3年(1626年)に落雷によって焼失している。仙石秀久が築いた、国の重要文化財に指定されている「大手門」や野面石積みの石垣は400年前のまま当時の姿で残されています。
城郭は城下町である市街地よりも低地に縄張りされ、市街地から城内を見渡すことができ、このため穴城とも鍋蓋城ともいう別称がある。また、浅間山の田切地形の深い谷を空堀として利用しており、西側の千曲川の断崖も天然の防御として利用されている。