日本100名城(33)

高岡城(たかおかじょう)は、富山県高岡市古城(旧・越中国射水郡関野)にあった日本の城(平城)。日本100名城のひとつである。現在、城跡は高岡古城公園(たかおかこじょうこうえん)として整備され、市民の憩いの場となっており、国の史跡に指定されている。桜の名所としても有名で日本桜名所100選に選定されている。

初代加賀藩主・前田利長は、天正13年(1585)から13年間、二上山にあった守山城の城主でした。慶長3年(1598)に利家公の後を継ぎ当主となり、同10年(1605)には隠居して富山城に移りました。同14年(1609)3月の大火により城を焼失し、利長は魚津城に移り、大御所徳川家康と将軍徳川秀忠に火災の報告と、関野に築城の許可を貰い、新しく城をつくることにしました。 高岡城は、キリシタン大名であり、築城の名手として有名な当時の前田家の客将だった高山右近が縄張(設計)したと伝承されています。 利長公は、詩経」の一節からこの地を「高岡」と名付け、同年9月に未完成の高岡城に入城しました。その5年後、利長公は死去し、元和元年(1615)、城は一国一城令により廃城となりましたが、廃城後も高岡町奉行所の管理下で、加賀藩米蔵・塩蔵・火薬蔵・番所などが置かれ、軍事拠点としての機能は密かに維持されました。また、まちにおいては鋳造産業の奨励、布・魚・塩などの物資の集散地とし、城下町を商工の町に転換する再興政策などにより、城の実質的価値である堀や土塁が良好に保存されてきた。当時城跡は、町民から「古御城(ふるおしろ)」と呼ばれ、現在では、高岡古城公園として市民の憩いの場となっています。

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