日本100名城(41)
駿府城(すんぷじょう)は駿河国阿部郡府中、現在の静岡県静岡市葵区にあった日本の城(輪郭式平城)である。別名は府中城や静岡城など。
江戸時代には駿府藩や駿府城代が、明治維新期には再び駿府藩(間もなく静岡藩に改称)が置かれた。
徳川家康は将軍職を秀忠に譲り、徳川家康が大御所となって隠居した際に使われた城です。慶長12(1607)年,家康は、輪郭式で石垣を廻らせた三重の堀を持ち、本丸の北西には城郭史上最大の天守台が築かれました。5重(または6重)7階といわれる勇壮な天守を配置した城を全国の大名に命じて、天下普請によって大修築され、天守は家康により3度建てられました。家康在城時の駿府の町は、江戸と共にいわば二元政治が行われていたため、政治、経済の中心地として大いに繁栄していました。家康の死後、城主となった忠長が改易されると駿府城は城代の管理となります。寛永12(1635)年の火災により天守等の殆どの建物が焼失し、櫓、門等の建物は再建されますが天守は再建されませんでした。以後江戸時代の駿府城は、建物の規模も次第に縮小していくこととなります。現在、中堀の内側にある旧二の丸と本丸が「駿府城公園」として整備されており、石垣や堀を見ることができます。また巽櫓と東御門、坤櫓が復元されて資料館として公開されています。