日本100名城(44)

名古屋城(なごやじょう)は、尾張国愛知郡名古屋(現在の愛知県名古屋市中区・北区)にあった梯郭式平城。「名城(めいじょう)」、「金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)」、「金城(きんじょう)」の異名を持つ。日本100名城、国の特別史跡に指定されています。

名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏築城の那古屋城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が天下統一の最後の布石として築いた城です。 

尾張国勝幡城織田信秀(織田信長の父)が、享禄5年(1532年)に奇策によって那古野城今川氏豊を追放し、ここを居城としました。 
信秀はその後、那古野城の南方に古渡城も築き、名古屋での勢力を強めていきました。 信秀のあとを継いだ信長は、清須城に拠点を移し、天下は統一に向けて動き出していきます。
信長が清須から小牧、岐阜、安土と居城を移していく中で、役割の薄れた那古野城天正10年(1582年)ころに廃城となり、その跡地は雉が多く住む野原となったと伝えられています。

徳川家康は、豊臣がたとの緊張が高まる中、尾張国東海道の一大防衛線として整備を進めました。尾張国の中心である清須城は大軍を収容できる規模がなく、五条川に臨む低地にあるため、しばしば水害にも見舞われていました。
このため、家康は清須城に代わる新城造営地を調査し、名古屋(那古野)、古渡、小牧の三候補地の中から名古屋を選びました。そして、慶長14年(1609年)11月16日に駿府において家康は名古屋新城の築城・名古屋遷府を正式に発令しました。1610年(慶長15年)、西国諸大名の助役による天下普請で築城が開始された。

名古屋城の城地は、濃尾平野に注ぐ庄内川が形作った名古屋台地の西北端に位置する。台地は濃尾平野に向かって突き出しており、平野の北を一望に監視できる軍事的な要地にあたる。

築城以前、台地縁の西面と北面は切り立った崖で、崖下は低湿地、と防御に適した地勢であった。伊勢湾に面した港の南に位置する熱田神宮門前町から、台地の西端に沿って堀川が掘削されて、築城物資の輸送とともに名古屋城下町の西の守りの機能を果たした。

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名古屋城 縄張り図

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名古屋城 縄張り図

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名古屋城の空中写真(上が北)

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戦災被害前の航空写真1928

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東南隅櫓から見た本丸御殿と大小天守

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焼失前の本丸、大天守、小天守

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本丸御殿と天守

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本丸御殿平面図

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天守と西南隅櫓

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天守と御深井丸西北隅櫓

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天守と小天守を結ぶ廊下の外側

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再建天守