日本100名城(63)
鳥取城(とっとりじょう)は、鳥取県鳥取市(旧・因幡国邑美郡(おうみぐん))に築かれた戦国時代から江戸時代の梯郭式平山城および山城で、国史跡に指定され、別名は久松山城という。戦国時代から江戸末期にかけての城郭形態の変化を窺うことができることから「城郭の博物館」の異名を持つ。城は、16世紀中頃、守護大名山名氏一族の争いの過程で誕生しました。はじめは因幡山名氏の守護所の出城でしたが、1573年(天正1)、山名豊国は本拠地を湖山池東岸の天神山城より移転し、以後、鳥取城は因幡国(鳥取県東部)の拠点となりました。織田信長の中国攻めでは、家臣の羽柴秀吉が兵糧攻めを用いて攻略した。開城後、入城した宮部 継潤(みやべ けいじゅん)によって山上ノ丸の改修が行われ、江戸時代には鳥取藩池田氏の治下に入り、麓の二の丸以下の曲輪が拡張された。現在は天守台、石垣、堀、井戸などが残る。
標高263メートルの久松山頂の山上の丸を中心とした山城部、山麓の天球丸、二の丸、三の丸、右膳の丸などからなる平山城部からなる梯郭式の城郭とすることができる。さらに西坂・中坂・東坂などの尾根筋には戦国期の遺構が数多く残されており、戦国時代から近世、さらに幕末までの築城技術が一つの城地に残る城跡である。