日本100名城(66)
津和野城(つわのじょう)は津和野盆地の南西部(島根県鹿足郡津和野町後田)に横たわる標高367メートルの霊亀山に築かれた連郭式山城。築城時からは少なくても室町時代後期(戦国時代)までは三本松城(もしくは一本松城)と呼ばれていた。尾根伝いに南にある出城の中荒城、当城と併せて国の史跡指定されている。
関ケ原の戦いの戦功で入城した坂崎出羽守成正は、城郭の大改築をはかり、本丸の北方約200mの山頂に側面防衛のための出丸である織部丸(おりべまる)を築いた。今日残る遺構の大部分がこのとき築かれたものである。また城の内堀は城山をめぐって流れていた津和野川をあてた。亀井氏になって寛文年間(1661〜1673)に現在の大橋から横掘までの約1kmにわたって外堀が掘られた。