日本100名城(77)
高松城(たかまつじょう)は、香川県高松市玉藻町にある。玉藻城(たまもじょう)とも呼ばれる国の史跡です。海岸に面しているため、海城とも言え瀬戸内海の水軍基地としても機能させることが前提だと言えます。
そのため、伊予の今治城、豊前の中津城と共に、堀には海水を引き入れた日本の三大水城のひとつに数えられます。城郭の形式は輪郭式平城で、本丸を中心に二の丸、三の丸、北の丸、東の丸、桜の馬場、西の丸が時計回りに配置され、3重に堀が廻らされていた。 かつては城壁が瀬戸内海に直接面し、外濠・中濠・内濠のすべてに海水が引き込まれ、城内に直接軍船が出入りできるようになっており、水軍の運用も視野に入れ設計されていた日本初の本格的な海城である。縄張りは黒田孝高(よしたか)が手掛けたといわれ、細川忠興、小早川隆景、藤堂高虎などによるとも言われている。高松城をはじめとする海城は海上封鎖が難しく、水攻めや水断ちといった攻城手段が使えないため戦争時の篭城や物資の搬入、脱出ができ、近世の縄張りとしては有利であった。
高松城 関連年表 |
1587年(天正十五年) | 生駒親正が17万6千石の領主として讃岐に入封。 |
1588年(天正十六年) | 親正、高松城の築城を開始する。 |
1592年(文禄元年) | 親正、5500の軍勢を率いて、朝鮮に渡る。(文禄の役) |
1600年(慶長五年) | 関ヶ原の戦いにより親正、子の一正に家督を譲る。 |
1640年(寛永十七年) | 御家騒動により生駒氏、讃岐一国を没収され、出羽・矢島1万石に移封となる。 |
1642年(寛永十九年) | 松平頼重が、常陸・下館より東讃岐12万石の領主として入城する。 |
1670年(寛文十年) | 三層五階の天守閣が完成する。 |