日本100名城(83)
宇和島城(うわじまじょう)は、四国の愛媛県宇和島市丸之内にある。中世期にあった丸串城(板島城)の跡に藤堂高虎によって築かれた近世城郭で、標高約80メートルの独立丘陵を主体とする梯郭式平山城の形式で、典型的な海城であった。平面は五角形をし二辺は海に、三辺は城堀を隔てて城下町に接していた。城山下の三之丸には内堀をめぐらし、城主の館があった。(今の消防署の場所)城主の館が城外に移ったのは、世の中が太平になった伊達二代宗利の時からである。城下町は高虎によって河流を付け替えられたという辰野川、および神田川の二つの川によって守られる形になっている。この城下町は城の東部が商人・職人町、南部が武家町に区画され、その外縁部、すなわち山麓に寺院を配置した。これによって出来た城を中心とした放射状の町割は数少ないといわれている。元和元(1615)年に伊達政宗の長子、伊達秀宗が入城して以来伊達家代々の居城となりました。現在の三層三階天守は伊達家の居城になってから再建されたものですが、城構えは藤堂高虎が創建した当時のものを引き継いでいます。江戸時代は宇和島藩の藩庁となった。城跡は国の史跡で、現存十二天守に数えられる天守は国の重要文化財に指定されています。