日本100名城(89)

佐賀城は佐賀市の中心に位置し、城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城。古名は佐嘉城。別名、沈み城、亀甲城。江戸時代初頭に完成し、外様大名佐賀藩鍋島氏の居城であった。幅50m以上もある堀は、石垣ではなく土塁で築かれている。平坦な土地にあるため、城内が見えないように土塁にはマツやクスノキが植えられている。城が樹木の中に沈み込んで見えることや、かつては幾重にも外堀を巡らし、攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていたことから、「沈み城」とも呼ばれてきた。また城郭と城下町の完成予想図と思われる「慶長御積絵図」とは本丸石垣の構成や櫓の数など異なる部分が多く、厳密には未完成の城である。

f:id:kouji-katayanagi:20190503004720p:plain

現在の佐賀城跡

f:id:kouji-katayanagi:20190503004754j:plain

佐賀城全景図

f:id:kouji-katayanagi:20190503004839j:plain

復元された佐賀城本丸御殿

f:id:kouji-katayanagi:20190503004902j:plain

鯱の門→天保9(1838)年当時の姿を残す

f:id:kouji-katayanagi:20190503004929j:plain

天守台→天守閣は享保11(1726)年に焼失し、以後再建されなかった

f:id:kouji-katayanagi:20190503004955j:plain

西側土塁石垣→ 外面が石垣、内面が土塁となっている。

f:id:kouji-katayanagi:20190503005034j:plain

南西隅櫓台→切り石による「亀甲乱積」という手法で積まれている石垣

f:id:kouji-katayanagi:20190503005105j:plain

堀→佐賀城を囲む堀で幅40間(約70m)ある

f:id:kouji-katayanagi:20190503005130j:plain

御座間→天保期の瓦や柱など当時の部材を使用。色の違いがよく分かる