日本100名城(96)
飫肥城(おびじょう)は、日向国南部(現在の宮崎県日南市飫肥)飫肥市街北部の丘陵に曲輪を幾つも並べた群郭式平山城である。飫肥城は伊東氏と島津氏により、103年にわたって激しくその領有権を争われた城です。伊東家は藤原氏南家の子孫で、800年続いた由緒ある家柄です。飫肥は天正16年(1588)祐兵(すけたけ)が初代藩主となってから、江戸時代は伊東氏飫肥藩5万7千石の藩庁として繁栄した。明治4年の廃藩の時まで伊東家がこの地を治めました。苔むした石垣、大手門前の広い石段・堀跡・武家屋敷等が昔を偲ばせてくれます。松尾の丸や大手門は銘木飫肥杉で復元造営されています。飫肥城を中心に、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。