日本100名城(100)

首里城(しゅりじょう、スイグスク)は、沖縄県那覇市首里金城町にあり、かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあったグスク(御城)の城趾である。現在は国営沖縄記念公園首里城地区(通称・首里城公園)として都市公園となっており、一般財団法人沖縄美ら島財団が管理を行っている。

琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城であった。戦前は正殿などが旧国宝に指定されていたが、1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊され、多くの遺構が撤去あるいは埋められ、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている。本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年(平成4年)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。

1999年(平成11年)には都市景観100選を受賞。その後2000年(平成12年)12月、「首里城跡」(しゅりじょうあと)として他のグスクなどとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名称で世界遺産に登録されたが、復元された建物や城壁は世界遺産ではない。

 2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(100番)に選定された。

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施設の全体地図

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正殿正面

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戦災で失われる前の正殿(空手演武) - 1938年(昭和13年

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琉球大学が置かれていた頃(1960年代)の首里城跡。手前の池は龍潭

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城内より市街を望む

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「龍樋」横の石碑

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正殿前の御庭

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正殿内部の玉座(復元)

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下之御庭の中央にある首里森御嶽

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書院・鎖之間庭園

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首里城内郭へ上る経路

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守礼門

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木曳門

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歓会門

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広福門

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瑞泉門、左に冊封七碑のひとつ(復元)が見える

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園比屋武御嶽石門

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南殿・番所

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久慶門

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漏刻門

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万国津梁の鐘のある「供屋」

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供屋にある万国津梁の鐘の複製。万国津梁の鐘は本来は正殿にあったとされるが、その正確な設置場所がわからないため、暫定的に供屋に設置されている。実物は沖縄県立博物館・美術館蔵

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王の邸宅である「二階御殿」

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夜、ライトアップされた正殿

 

日本100名城(99)

中城城(なかぐすくじょう)は、沖縄県中頭郡北中城村中城村に存在した連郭式の山城である。六つの郭で構成されている。15世紀の琉球王国尚泰久王代、護佐丸のグスク(城)として知られる。城壁の増築により現在みられる規模になったと考えられるが、築城の時期は不明。沖縄のグスクでは本土より古い時代から石積み技術が発達していて、中城城では時代によって異なる三種類の石の積み方が見られる。 最初に作られた南の郭に見られる自然の石をそのまま積む「野面積み(のずらづみ)」、一の郭と二の郭に見られる四角い形に加工した石を積む「布積み(ぬのづみ)」、三の郭と北の郭に見られる多角形に加工し石を積む「相方積み(あいかたづみ)=亀甲乱れ積み(きっこうづみ)ともいう」。
沖縄戦で建物は焼失するも、石垣の被害は少なく美しい石垣が残っている。300余りあるとされている沖縄のグスクの中では、最も昔の姿を残しているグスクとして知られている。また、1853年、アメリカのペリー提督が立ち寄り、城壁や門の測量。その建築技術の高さに驚嘆したのが、沖縄県中頭郡北中城村にある世界遺産「中城城跡」です。

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中城城 縄張り図

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中城城要部のステレオ空中写真(1977年)。写真下方が北

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中城城二の郭

 

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三の郭北東城壁

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二の郭北東城壁

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一の郭北東城壁

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西の郭

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南の郭(城門の向こうは一の郭)

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北の郭

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一の郭と二の郭をつなぐ門と一の郭

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カンジャーガマ跡

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井戸の階段

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正門全景

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正門横の石碑

 

日本100名城(98)

今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう、別名:北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく))は、沖縄県国頭郡今帰仁村に位置する山城である。2000年(平成12年)11月に首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコ世界遺産文化遺産)に登録された(登録名称は今帰仁城跡)。2010年(平成22年)2月22日に国の史跡地域が追加され、史跡名称が今帰仁城跡 附シイナ城跡へ改められた。

 14世紀の中国の史書琉球国山北王「怕尼芝はにじ」「珉みん」「攀安知はんあんち」の三王が登場します。この頃の沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山鼎立の時代」でした。北山王は今帰仁城を拠点に沖縄島の北部を中心に支配下とし、中国と貿易をしていました。今帰仁城跡の歴史は古く、13世紀までさかのぼるとされています。堅牢な城壁に囲まれたその城は、標高約100メートルに位置し、やんばるの地を守る要の城でした。しかし1416年(1422年説もある)に中山の尚巴志によって滅ぼされ、北山としての歴史の幕を閉じることになります。北山の敗北後、中山は北部地域の管理のために監守を今帰仁グスクに設置し、1422年以後監守の居城としてグスクを利用します。しかし1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、城は炎上したとされています。監守が住まなくなって以後は拝所とし、精神的拠り所として広く県内から参拝者が訪れています。

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三山の地域概念と主要なグスク

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今帰仁城跡の案内

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1 外郭 高さは2m前後と比較的低い石垣が延長数百m蛇行して続いています。発掘調査で屋敷跡が確認されました。

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2 平郎門 本門で、現在見る門は昭和37年の琉球政府時代に修復されました。 琉球国由来記に「北山王者、本門、平郎門ヲ守護ス」として登場します。

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3 大隅(ウーシミ)戦時に備え馬を養い、兵馬を訓練した場所として伝えられています。最も高い石垣が築かれた堅牢な城郭です。

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4 カーザフ カーは川や湧泉を、ザフは迫で谷間を意味します。谷間は自然の石が露頭して独自の景観をつくっています。

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5 旧道 平郎門から入って右手、曲がりくねった大きな岩盤の谷間を利用し、防衛機能上から幅は狭く急なのぼり道となっています。

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6 大庭(ウーミャ)大庭を取り囲むように正殿(主郭)、北殿、南殿の建物が配置されていたと考えられ、行事等に利用された重要な広場です。

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7 御内原(ウーチバル)今帰仁城跡に仕えた女官の生活の場所と伝えられ、城内でも神聖な場所です。北側から海を一望することができます。(写真:城内上の御嶽)

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8 主郭 発掘調査によって築城から廃城までの時期変遷を確認することができました。城内で最も中心的な建物があった場所です。(俗称:本丸)

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9 志慶真門郭(しげまじょうかく) ここには城主に仕えた身近な人々が住んだと考えられてます。発掘調査によって4つの建物があったことが分かっています。

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10 クバの御嶽 今帰仁城跡の西にある古生代中生代石灰岩からなる丘陵。琉球の時代から続く聖地で、地元ではウガーミと呼ばれる神域です。

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11 ミームングスク ミームングスクは高さ約1.5mの石積みが方形状に積まれています。今帰仁城の出城ではなかったかと考えられています。

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12 今帰仁ムラ跡 今帰仁城跡の周辺にはいくつかの集落跡がありました。今帰仁ムラ跡では発掘調査が行われ多数の柱穴や土坑、中国産の陶磁器などが発見されています。












日本100名城(97)

鹿児島城(かごしまじょう)は、薩摩国鹿児島城山麓(現在の鹿児島県鹿児島市城山町)に築かれた平山城である。別名「鶴丸城(つるまるじょう)」。鹿児島では一般的に古くから別名の鶴丸城で呼ばれている。別名の由来は、屋形の形状が鶴が羽を広げたようであったことによる。1601年(慶長6年)に島津忠恒(家久)により築城され、以後廃藩置県まで島津氏の居城であった。城跡は鹿児島県史跡に指定されている。「関ケ原の戦い」で西軍側に属して敗北した島津氏が、徳川家康の薩摩征伐に備えて築いた城でもありますが、朝鮮出兵関ケ原の影響で財政が苦しかったこともあり、石高77万石の薩摩藩の城とは思えないほど質素な作りでした。現在も本丸と二の丸の周囲の石垣がほぼ完全な形で残されています。また、本丸跡に建てられている黎明館には鹿児島城のジオラマが展示されています。

 

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鶴丸城俯瞰図

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鹿児島城地形

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西郷隆盛銅像

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天璋院篤姫

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医学院跡