日本100名城(3)

松前城(まつまえじょう)は、北海道渡島総合振興局管内松前町にあった日本の城平山城福山城(ふくやまじょう)とも呼ばれている。

石田城と並び日本における最後期の日本式城郭である。北海道内で唯一つの日本式城郭であ。現在は松前城とその周辺の寺町や観光施設の松前藩屋敷を含む広いエリアが松前公園として整備されており、公園には松前町発祥の貴重な松前系品種を含む250種1万本の桜が植えられており、2か月に渡り花見ができる全国屈指の桜の名所となっている。

築城計画の際、現在地の福山ではなく、地形的に要害となりうる箱館の臥牛山(函館山)に築城するべきという意見もあったが、城下の商人が城が移転することで経済的打撃を受けて松前港は寂れてしまうとの反対意見や予算があまりないということもあって、当時の松前氏の居館であった福山館を拡張する方法で落ち着き、三の丸から本丸までを津軽海峡に向けて雛壇式に築城した。本丸東南隅には三層の天守が築かれました。三の丸には海に向けて7基の砲台が置かれ、城外にも9砲台25門の大砲が配備されていたことから、海からの攻撃への備えを重視していたことが分かります。

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焼失前の松前城天守、左端に門。1935年9月撮影

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