日本100名城(6)

f:id:kouji-katayanagi:20181127174147j:plain

盛岡城(もりおかじょう)は、岩手県盛岡市陸奥国岩手郡)にあった日本の城。国の史跡に指定されている。別名は不来方(こずかたじょう)であると一般に理解されているが、厳密には盛岡城の前身であり両者は別の城郭である。

盛岡城」は南部(盛岡)藩南部氏の居城である。南部氏(なんぶし)は,甲斐源氏(かいげんじ)の一族でしたが,南北朝時代のころより糠部(ぬかのぶ)(青森県三戸郡八戸市周辺)に基盤をおき,室町・戦国時代にはしだいに勢力をのばして,奥州(おうしゅう)北部の有力大名に成長します。三戸から不来方(こずかた)の地に居城の移転を決定した南部信直(なんぶのぶなお:盛岡藩初代藩主)が,慶長2年(1597年)に嫡子利直(としなお:2代藩主)を総奉行(そうぶぎょう)として築城を始めたと伝えられ,翌慶長3年(1598年)の正式許可の後,築城工事が本格的に進められました。西部を流れる北上川と南東部を流れる中津川の合流地、現在の盛岡市中心部にあった花崗岩丘陵に築城された連郭式平山城である。本丸の北側に二の丸が配され、本丸と二の丸の間は空堀で仕切られ現在は朱塗りの橋が架かっているが、存城当時は廊下橋(屋根付橋の一種)が架けられていた。さらにその北側に三の丸が配され、本丸を囲むように腰曲輪、淡路丸、榊山曲輪が配された。本丸には天守台が築かれたが、幕府への遠慮から天守 は築かれず、天守台に御三階櫓が建造され代用とされた。後、1842年(天保13年)に12代利済により天守へと改称されている。

 

盛岡城

f:id:kouji-katayanagi:20181127175653j:plain

 

本丸

f:id:kouji-katayanagi:20181127175740j:plain

 

石垣

f:id:kouji-katayanagi:20181127175814j:plain

 

二の丸

f:id:kouji-katayanagi:20181127175851j:plain

 

本丸と二の丸の間の空堀

f:id:kouji-katayanagi:20181127180238j:plain