日本100名城(62)
和歌山城は和歌山城は今から約430年前、豊臣秀吉が弟の秀長に命じて建てたお城で和歌山県和歌山市一番丁にある。その後、徳川御三家の一人、徳川頼宜(よりのぶ)が城主を務めたことにより城郭の大改修を行ない、明治維新までの250年間紀州徳川家の居城として幕府の西の要としての役割を果たしていたと言われています。和歌山市の中心部に位置する標高48.9mの虎伏山(とらふすやま)に建造され、白壁の天守閣の美しさから、別名「白亜(はくあ)城」、山の名前を取って「虎伏城」などとも呼ばれていました。北部を流れる紀ノ川を天然の堀とする。本丸の北側に二の丸が配され、その外に大きく三の丸が配された、梯郭式平山城である。当時の石垣や土塀、岡口門・追廻門などが今も残っていてそのうち岡口門と土塀が国の重要文化財に指定されています。城跡は国の史跡に指定されている。