日本100名城(46)

長篠城(ながしのじょう)は、三河設楽郡長篠(愛知県新城市長篠)豊川と宇連川が合流する断崖上にあり、本丸、帯郭、野牛郭、巴城郭、瓢郭、弾正郭等があった平城。

天正3年(1575年)の長篠の戦いに先立つ長篠城をめぐる激しい攻防戦で知られる。

  戦国時代末期の城であるため、現在は国の史跡に指定され、城跡として整備されている、建物は残っておりませんが、一部残っている内堀と土塁が城の東側を守り、後方は合流する2つの川が堀として巧みに利用されている様子から、ここが天然の要害であったことがわかります。

長篠の戦いのころの構造について言うと、本丸のすぐ北側には堀が掘られ、その北側に二の丸、そのすぐ北側にまた堀が掘られていた。二の丸外側に三の丸、弾正曲輪などがあり、本丸の西側に服部曲輪があり、野牛曲輪なども築かれ、城域を北側を囲むように木柵が作られていた。川と断崖のおかげで南と東西の守りは堅かったが、北側は(台地状に)平地が広がっておりそのままでは守りが弱かったので、そちらにはしっかりとした堀が掘られていたのである。

南や東西から見れば断崖絶壁上の城であるが、北側から見た姿をもってして「平城」に分類されることもある。

f:id:kouji-katayanagi:20190210223257j:plain

長篠城周辺図

f:id:kouji-katayanagi:20190210223426j:plain

長篠城縄張り図

f:id:kouji-katayanagi:20190210223452j:plain

要害の長篠城説明板

f:id:kouji-katayanagi:20190210223529j:plain

本丸・野牛曲輪跡

f:id:kouji-katayanagi:20190210223558j:plain

曲輪「帯郭跡」

f:id:kouji-katayanagi:20190210223633j:plain

本丸の周囲を囲む巨大な堀。当時は水堀だった。右側の一段と高い場所が、主郭跡の周囲の土居(土塁)

f:id:kouji-katayanagi:20190210223732j:plain

土橋の上 内堀趾

f:id:kouji-katayanagi:20190210223754j:plain

土橋から本丸へ入るところに、古い史蹟碑と説明碑

f:id:kouji-katayanagi:20190210223817j:plain

本丸左側内堀を掘ったときに掻き上げられた土で出来た巨大な土塁

f:id:kouji-katayanagi:20190210223844j:plain

本丸土塁の上から見下ろす内堀

f:id:kouji-katayanagi:20190210223916j:plain

長篠城址史跡保存館