日本100名城(54)
大坂城/大阪城(おおさかじょう)は、安土桃山時代に摂津国東成郡生玉荘大坂に築かれ、江戸時代に修築された輪郭式平城または平山城。別称は錦城(きんじょう/金城とも表記)。「大坂城跡」として国の特別史跡に指定されている。文献等にもよるが、日本三名城のひとつに数えられる場合もある。復興天守は現在も健在であり、大阪の象徴としてそびえ立ち、周囲には大阪城公園が整備されている。
大阪府大阪市中央区大阪城に所在し、大阪城区域のみで単独の街区「大阪城」を形成する。郵便番号は〒540-0002。
「太閤はんのお城」と親しみを込めて呼ばれることもあるが、1583年(天正11年)から1598年(慶長3年)にかけて豊臣秀吉が築いた大坂城(豊臣氏大坂城)の遺構は、現在全て埋没している。現在地表に見ることのできる大坂城の遺構は、1620年(元和6年)から1629年(寛永6年)にかけて徳川氏が実質的な新築に相当する修築を施した大坂城(徳川氏大坂城)の遺構である。1959年(昭和34年)の大阪城総合学術調査において、城跡に現存する櫓や石垣などもすべて徳川氏、江戸幕府によるものであることが確認された。
豊臣秀吉は、賤ヶ岳合戦により柴田勝家を倒し大坂を手中にすると、本願寺の跡地に天下に比類なき城郭を築き始めます。天下統一の拠点として築城した初代大坂城は、本丸、二の丸の規模は現在の大阪城とほぼ同じで、それを取り囲む2km四方にもおよぶ惣構を備えた大城郭で「三国無双の城」と讃えられる豪壮華麗な城であったと伝えられています。しかし、栄華を誇った豊臣氏も秀吉の死後、慶長19・20年(1614・15)の大坂冬・夏の陣によって大坂城と共に滅亡してしまいます。その後、徳川幕府により豊臣氏大坂城を覆い隠すように徳川氏大坂城が徳川幕府の再築工事によって築かれて以来、地中深く埋められ今も地下に眠り続けています。