日本100名城(53)
二条城(にじょうじょう)・正式名称元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)は京都市二条通堀川西入二条城町にある江戸時代に造営された、京都市街の中にある輪郭式平城で、城内全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿(6棟)が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている。さらに1994年(平成6年)にはユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に「古都京都の文化財」として登録されている。二条城と名づけられる京都市街の城は歴史的に4つあるが、城跡として現存する二条城は、徳川家康により1602年(慶長7)に築城が開始され、翌年に完成したものである。
徳川家康の将軍宣下に伴う祝賀式を行い、その後、江戸幕府を開いた。幕末には、第15代将軍の徳川慶喜の大政奉還が行われた。その意味では、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもある。また、後の近代においては大正天皇即位の儀式である大典の饗宴場として使用された場所となった。
二条城には伏見城(京都市)から移築した5層の天守があったが1750年(寛延3)に落雷により失われ、その後、再建されることはなく、天守台の石垣だけが今日まで残ることになった。1788年(天明8)には本丸御殿も焼失してしまった。現在本丸にある本丸御殿は1896年(明治29)桂宮(かつらのみや)殿舎を移したものである。二の丸御殿は、遠侍(とおざむらい)、車寄(くるまよせ)、式台、大広間、蘇鉄之間(そてつのま)、黒書院(くろしょいん)(小広間)、白書院(御座の間)(以上国宝)、台所、唐門などからなる完全な城郭御殿の遺構であり、そのほかに、東大手門、西大手門、北大手門、隅櫓(すみやぐら)(東南隅櫓、西南隅櫓)などの遺構とともに庭園(特別名勝)をもち,桃山期に発達した殿舎建築の完備した形式をのこし貴重。