日本100名城(57)

篠山城(ささやまじょう)は、兵庫県篠山氏北新町にある日本の城跡(近世城郭)。篠山盆地の中央部、笹山とよばれる小丘陵に築かれた輪郭式平山城で、篠山藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。

篠山城は慶長14年(1609)に徳川家康の命により、京都から山陰・山陽両道に通じる要衝である篠山盆地に豊臣氏を包囲する城のひとつとして、大坂の豊臣氏をはじめとする西国諸大名のおさえとして、天下普請によって山陰道の要衝である丹波篠山盆地中心部の丘陵である笹山に築城されました。加藤清正浅野幸長蜂須賀至鎮加藤嘉明福島正則ら豊臣恩顧の大名を動員して築城家で名高い藤堂高虎が縄張を担当し、普請総奉行は姫路城城主・池田輝政が務め、15か国20の大名の夫役、 総勢8万人の労力による大工事で、わずか6か月の短期間で完成した。現在の城跡は本丸、二の丸の石垣内濠の一部、外濠、馬出など主要な城郭遺構が良く保存されていることから、昭和31年12月28日国の史跡指定を受けています。

城は内堀と外堀を有し、内堀内に本丸と二の丸を設ける。外堀の外周は1辺約400mのほぼ正方形で、東・北・南に馬出を設けていた。二の丸を囲む土塀は所々、屏風折りに外側に突き出しており狭間の死角を少なくする工夫がされていた。築城当初より天守台はあるが天守は建設されなかった。これは石垣や堀をはじめとする城の造りがあまりにも堅固すぎることを幕府が懸念したためと伝えられている。篠山城大書院は天守のなかった篠山城の 中核をなす建物でした。

三の丸内に上級武士、外堀沿いに中級・下級武士、外堀南に足軽長屋、街道沿いに町や社寺が配置された。

f:id:kouji-katayanagi:20190303014924j:plain

篠山城縄張り図

f:id:kouji-katayanagi:20190303015009j:plain

f:id:kouji-katayanagi:20190303015058j:plain

篠山城跡周辺の航空写真(1975年)

f:id:kouji-katayanagi:20190303015139j:plain

古絵図

f:id:kouji-katayanagi:20190303015210j:plain

鉄門跡(くろがねもんあと)と復元大書院

f:id:kouji-katayanagi:20190303015234j:plain

焼失前の大書院(昭和18年

f:id:kouji-katayanagi:20190303015300j:plain

大書院(復元)

f:id:kouji-katayanagi:20190303015331j:plain

大書院「次之間」

f:id:kouji-katayanagi:20190303015358j:plain

石垣

f:id:kouji-katayanagi:20190303015424j:plain

天守台石垣

f:id:kouji-katayanagi:20190303015449j:plain

天守

f:id:kouji-katayanagi:20190303015520j:plain

東門外にある馬出跡