日本100名城(86)
大野城(おおのじょう/おおののき)は、福岡県の太宰府市・大野城市・糟屋郡宇美町にまたがる大城山(おおきやま)に築かれた、日本の古代山城(朝鮮式山城)である。城跡は、1953年(昭和28年)3月31日、国の特別史跡「大野城跡」に指定されている。大野城は飛鳥時代に大和朝廷によって築城された、我が国最古の古代山城です。天智2年(663年)に「白村江の戦い」で唐・新羅の連合軍に大敗を喫した倭国(後の日本)が天智4年(665年)大宰府防衛を目的として築いた城であると考えられています。『日本書紀』に登場する城で、城郭の建設を担当したのは亡命百済人で、「兵法に閑(なら)う」と評された、軍事技術の専門家の憶礼福留(おくらいふくる)と四比福夫(しひふくぶ)である。また、大野城・基肄城とともに長門国にも亡命百済人が城を建設しているが、城の名称は記載されず、所在地も不明である。
日本100名城(85)
福岡城(ふくおかじょう)は、現在の福岡県福岡市中央区に築かれた梯郭式の平山城で、 豊前国中津12万石から筑前国福岡52万石に移封された初代藩主黒田長政が、慶長6年(1601)から7年がかりで築城した12代270年余にわたる黒田氏の居城。天守閣はなく大中小の各天守台と47基の櫓や10棟の城門があったという。本丸の南西に南丸(南二の丸)、北東隅に同じような規模で東二の丸、この2つを結ぶようにして囲む二の丸、二の丸の西から北東に三の丸が囲む配置で構成された内城部分で413900㎡、城下の武家屋敷まで含めば2460000㎡もの広大な規模を持つ城郭で、東側に那珂川をもって堀とし高石垣を南北に長く築き、また西側は干潟の「草ヶ江」を大きな池沼堀として活用した。この大堀は現在、大濠公園として整備されている。城下町は城の北側(博多湾側)に東西に長く開かれた。別名、舞鶴城、石城。国の史跡に指定されている。
日本100名城(84)
高知城(こうちじょう)は、高知県高知市(土佐国土佐郡高知)のある高知平野のほぼ中心に位置する大高坂山(標高44.4m)上に築かれた梯郭式平山城で、山の南を流れる鏡川、北の江ノ口川をそれぞれ外堀として利用されていた。別名鷹城(たかじょう)。
高知城は本丸の建造物が完全に残る唯一の城として知られている。天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定されている。現在、城全域は高知公園として無料で開放されているが、天守および本丸御殿(別名、懐徳館)への入館は有料となっている。また、この15棟の現存建造物に加えて、土佐山内家宝物資料館に丑寅櫓の一部であると伝わる部材が収蔵されている。
重要文化財指定は以下の15棟。
日本100名城(83)
宇和島城(うわじまじょう)は、四国の愛媛県宇和島市丸之内にある。中世期にあった丸串城(板島城)の跡に藤堂高虎によって築かれた近世城郭で、標高約80メートルの独立丘陵を主体とする梯郭式平山城の形式で、典型的な海城であった。平面は五角形をし二辺は海に、三辺は城堀を隔てて城下町に接していた。城山下の三之丸には内堀をめぐらし、城主の館があった。(今の消防署の場所)城主の館が城外に移ったのは、世の中が太平になった伊達二代宗利の時からである。城下町は高虎によって河流を付け替えられたという辰野川、および神田川の二つの川によって守られる形になっている。この城下町は城の東部が商人・職人町、南部が武家町に区画され、その外縁部、すなわち山麓に寺院を配置した。これによって出来た城を中心とした放射状の町割は数少ないといわれている。元和元(1615)年に伊達政宗の長子、伊達秀宗が入城して以来伊達家代々の居城となりました。現在の三層三階天守は伊達家の居城になってから再建されたものですが、城構えは藤堂高虎が創建した当時のものを引き継いでいます。江戸時代は宇和島藩の藩庁となった。城跡は国の史跡で、現存十二天守に数えられる天守は国の重要文化財に指定されています。
日本100名城(81)
松山城(まつやまじょう)は、愛媛県松山市にある標高132m、比高約90mの連郭式平山城。松山市の中心部、勝山(城山)山頂に本丸、西南麓に二之丸と三之丸を構える平山城である。日本三大平山城にも数えられる。山頂の本壇にある天守(大天守)は、連立式層塔型三重三階地下一階。日本の12箇所に現存する天守の一つである。この中では、姫路城と同じく、連立式で、日本三大連立式平山城の1つにも数えられる。別名金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)。各地の松山城と区別するため『伊予松山城』と呼ばれることもあるが、これはごくまれなケースであり特別な事情を除いて一般的に「松山城」と指した場合は本城を示す。現在は、城跡の主要部分が公園として整備され、現存する天守、野原櫓、乾櫓、隠門続櫓など櫓5棟、戸無門、隠門、紫竹門、一ノ門など門7棟、筋鉄門東塀など塀7棟が国の重要文化財に、再建された建造物は、小天守、北隅櫓、十間廊下、南隅櫓、太鼓櫓、筒井門、太鼓門、乾門、良門東続櫓など22棟。城郭遺構が国の史跡に指定されている。