日本100名城(14)


水戸城(みとじょう)は、常陸国茨城郡水戸(現在の茨城県水戸市三の丸)にあった日本の城で連郭式平山城である。

水戸市の中心部、水戸駅の北側に隣接する丘陵に築城された水戸城(みとじょう)は、北部を流れる那珂川と南部に広がっていた千波湖を天然の堀としていた。本丸の西側に二の丸が配され、さらに西に三の丸が配され、それぞれが巨大な空堀で仕切られていた。城郭は主に土塁と空堀で構成され、戦国東国の典型的な城である。常陸国主佐竹時代の後は徳川御三家の居城。尾張藩名古屋城紀州藩和歌山城と違って戦国遺風が濃い連郭城で、その類型中で国内最大級の規模である。水戸徳川家は参勤交代を行わない唯一の江戸定府大名であったため、水戸城は藩主の居城としての役割を担っていなかった。

江戸時代の櫓は、二の丸に現在の茨城県立水戸第三高等学校茨城大学教育学部付属小学校・附属幼稚園にまたがる形で存在した。三の丸には藩校などがあり、本丸は主に倉庫として使用されていたとされる。江戸近隣の城は幕府に憚り天守建造はしないが、それは御三家の水戸も例外ではなかった。しかし、天守、という呼称は憚りながらも外見は三層、中は五階建ての御三階櫓と称す巨大な実質天守があった。

御三階櫓は明治の解体を免れたが、太平洋戦争時の水戸空襲で焼失し、以後再建されていない。城跡は二の丸・三の丸付近が整備されており、土塁・空堀が現存している。また、三の丸には水戸藩藩校であった弘道館(国の重要文化財特別史跡)が現存している。また、薬医門(茨城県指定有形文化財)は銅板葺に変更されたものの現存しており、現在は旧本丸にある茨城県立水戸第一高等学校に移築されている。

現在の城跡は文教地区となっており、水戸一高の他、水戸三高、水戸市立水戸第二中学校、水戸市立水戸三の丸小学校、茨城大附属小・幼稚園が建っている。三の丸小学校は校門や塀、校舎の多くをレトロ調にしている。

本丸と二の丸、三の丸の間には堀があり橋が掛けられていたが、明治期に二の丸と三の丸の間の堀は道路(県道232号市毛水戸線)として、本丸と二の丸の間の堀は鉄道(JR水郡線)として転用された。

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水戸城の縄張り図

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水戸城の航空写真 (1986年度撮影・国土航空写真)

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薬医門

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本丸空堀(現・JR水郡線

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三の丸空堀

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水戸城三階櫓